2010.11.22

デジタルゲームと日本語学習の関係
-ゲームと教育:ライン河畔のボン大学から(1)-

いきなりブログの初回が海外からの送信となってしまったが、これから数回に渡って、デジタルゲームと教育をめぐって、ドイツで考えたことをお送りしたい。

私は、現在、ドイツはボン大学の客員教授として、10月1日から12月31日までの3か月間、当地に滞在している。今は11月下旬だから、例年よりも穏やかなボンの気候のもとで、すでに滞在期間の半分が過ぎてしまった。

ボンといえば、東西ドイツの統一でベルリンに首都が戻るまでの暫定首都だったところ。当時は首都=中央都市(Hauptstadt、ドイツ語で首都の意味、haupt-は主要な・中心の、Stadtは町や都市の意味)ではなく、中央村(Hauptdorf、ドイツ語の新造語、Dorfは村の意味)と揶揄されたものだった。

しかし、ボンは、現在でも連邦都市(Bundesstadt、Bundは連邦、ドイツはアメリカと同じような連邦国家)という地位を与えられている。連邦政府の役所のかなりの部分がなし崩し的にベルリンに移っているのに対して、とくに教育関係の役所は、すべてボンにとどまっている。近年では、2006年に開催されたサッカーのワールドカップドイツ大会で、日本代表チームが合宿を行った町として日本のサッカーファンには知られている。

しかし、本来のボンは大学町だ。町の中心であるボン大学は1818年に設立された。私の本務校である東京大学よりも古いのだが、ドイツ国内においては比較的新しい大学である。ノルトライン・ヴェストファーレン州の州立大学。大学の本部庁舎は、かつてのケルン選帝侯の宮殿を使っている(写真1)。ドイツの大学は、建前では皆同レベルということになっているが、現実には、中堅の上位校といったところだろうか。その大学院で3か月間という短い間ながら、私は日本の文化と歴史を教えている。

(写真1)前庭の芝生がきれいなボン大学本部庁舎
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日本の文化と歴史というと、どうしてもステレオタイプな日本観に陥りがちであるが、今回の講義は、とくに現代の日本の文化に焦点を当てている。ゆえに、取り上げるテーマは日本のコンテンツ、すなわち、映画・アニメ・マンガ、そしてゲームである。ボン大学に限らず、ドイツに限らず、日本のコンテンツをきっかけに日本に関心を持つ若者が増えている……と言われているが、実態はどうなのだろうか?

ボン大学の場合、アジア地域を対象とする研究分野を専攻する約200名の学生のうち、なんと170名が第一または第二外国語として日本語を選択しているのだ。これが特殊な事例でないことは、例えば、私がスイスの友人から聞いたところによると、同じドイツ語圏にあるスイスの名門、チューリッヒ工科大学でさえ、自然科学系の大学ながら、日本語を学んでいる学生は常時200人をくだらないということからも理解できる。

財団法人 日本国際教育基金と独立行政法人 国際交流基金が協力して行っている日本語能力試験は、日本語を母語としない人々を対象とした検定試験である。1984年の開始当時は世界15カ国・地域で約7,000人の受験者だったのが、2008年は約56万人が受験。さらに制度が改革されて年2回となった2009年は54の国と地域で年間のべ約77万人が受験おり、近年の受験者の急増が目立っている。

中国や韓国で日本語学習者が多いことは従来も指摘されて来た。それには、同じ東アジアに位置して地理的にも近く、言語構造も近いという事情がある。しかし、日本語とは言語の構造が異なる印欧語を母語とするヨーロッパでも、日本語学習者が急増している事態は、日本のコンテンツの影響が大きいと聞かされてはいたものの、私の予想をはるかに超えていた。その結果、ドイツでは日本語教師不足が深刻な問題になっているという。

では、日本語を学ぶ若者は、日本のどのようなコンテンツから影響を受けて日本に関心を持ち、そして日本語を学んでいるのだろうか?

私が担当しているボン大学の学生に聞いてみると、圧倒的多数がゲームからである(写真2)。その次に、映画、そしてアニメやマンガと続く。中国や台湾の若者は、中国語に翻訳されたゲームタイトルが多くは無いので、直接、日本語版をプレイする。しかし、ドイツで販売されているゲームはすべてドイツ語版か英語版、映画やアニメもドイツ語に吹き替えられ、マンガのセリフもドイツ語か英語に翻訳されている。

(写真2)ボン大学のコンテンツ・ゼミナールの学生たち
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それにもかかわらず、それらのコンテンツはドイツの若者を魅了し、日本への関心をかきたて、日本語の学習へと向かわせるのだ。そのなかでも、ゲームの影響力は絶大だと言ってよい。これはゲームそのものの教育効果ではないけれども、動機付けという学習の最初の出発点を構成するゲームの教育効果と言えるだろう。

どうしてゲームが突出した影響力を持つのか。それ自体はゲーム研究の課題であるが、仮説的には、ゲームは子どものころから繰り返し遊ばれる、ゲームには他のメディアには無いインタラクティブ性が存在する、などゲームの特徴に加えて、日本のゲームは子どもの印象に残るキャラクターが多い、ゲームのジャンルやシステムが多様である、メディアミックスでいろいろなメディアや商品にも展開している、という特性があるからであろう。

ドイツでは日本のコンテンツのような新しい分野の教育や研究を進める教員の不足にも悩まされている。ボン大学における日本のコンテンツ研究も、近年始まったばかりで、ようやくその成果が少しずつ出て来ている状況にある。このような状況に対して、日本政府や関係省庁も対応しているわけではないだろうが、海外にいると、あまりその存在が見えてこない。海外の日本研究に対して、もっと思い切った支援策を打つべきだろう。とくに、近年の海外において劇的に影響力を増大させているコンテンツ研究のような現代の日本文化や産業の研究に対して、積極的に支援するべきだろう。

さて、話をもとに戻すと、ゲームを始めとする日本のコンテンツに接したことをきっかけに日本語学習を目指した海外の若者に対して、もっとも効果的な学習法はゲームではないだろうか。現在でも、優れた日本語学習のための教科書や参考書が無いわけではないし、少ないながらも優秀な日本語教師も活躍している。しかし、日本のコンテンツから日本語学習者が増大している現在の状況には十分応えきれていないのだ。

現代の生きた日本語を、楽しく学び、身に付け活用する。そのような日本語学習には、日本の得意分野であるゲームを教材化する(あるいは教材をゲーム化する)のが効果的だろう。それは、デジタルネイティブと呼ばれ、すぐれたITスキルを身に付けている世界中の若者のためでもある。しかし、彼らのためだけではない。私たち日本人が、現代の日本文化の魅力に自信を持つと同時に、その文化の中身を自覚するためにも必要なのだと思う。

(東京大学大学院情報学環 教授 馬場 章)